2010/10/17

【アニメの】魔法のプリンセス ミンキーモモ【ススヌ】


今日は『魔法のプリンセスミンキーモモ』を紹介しようかと。
記事メインはアニメ好きの中では割と有名な最終回について。


ミンキーモモって?

小さな女の子向けの魔法少女系アニメ。
一話完結型で女の子モモが魔法で18歳の女性に変身し困難を解決、人々の夢を叶えるために奔走するというストーリー。
本作は、地球の人々に夢と希望を持つことを思い出させていくというストーリーが、女性の夢の実現をテーマとしてコミカルに語られた。
これは当時(1980年代前半)女性の社会進出がまだまだ十分ではなかったため、女の子たちに夢を与えることを念頭に作製されました。


衝撃の最終話

43~46話で、モモは魔法でのペンダントを破壊され変身能力を失ってしまいます。
そんな中、おもちゃの車に乗った男の子と何気ない会話が交わされます。

突然、明らかにスピード違反と思われるトラックが二人に突っ込んできます。
そして、男の子を避けようとして運転手がハンドルを切るのですが、そこにはモモが・・・。



モモはトラックに轢かれてしまい、トラックの荷台からおもちゃが落ちます。
そして、路上に散乱するおもちゃたち。


モモは帰らぬ人となってしまい、人間界のパパとママは悲しみに暮れます。
そして、夢の国フェナリナーサの本当のパパとママも悲しみ夜空を仰ぎます。
そのとき、なんと夜空にモモが現れたのです。

そして、モモの語りが始まります。
モモ「ママなんであたしは地球に行ってたのかしら」
ママ「人々に夢や希望を与えることが出来たらフェナリナーサは地球に戻ることが出来るのです」
モモ「無理だわそんなこと、だって夢や希望は自分で持つものでしょう 人から貰うものでも人にあげるものでもないでしょう」
・・・

モモ「もし(フェナリナーサに)戻れるなら私は私の夢をみたい」
そして、奇跡が起きます。


人間界のパパとママが子供を授かったのです。
そして、二人はその子をモモと名付けました。

時は過ぎ、モモは大人となりました。
その時、フェナリナーサは地球に戻って来ます。
フェナリナーサが地球に戻れる最後の条件は、モモが大人になるという自分の夢を叶えることでだったのです。



大人になったモモはフェナリナーサのパパとママに会いに行きます。



ママから再び魔法の道具をもらった大人モモは今度は子供になる魔法をかけます。


子供に戻ったモモは夢の扉(?)のようなもの開けます。
そこから夢の住人が溢れでてきます。



子供に戻ったモモはそれぞれのパパとママを引きあわせます。


何もかもがうまく行き、ハッピーエンドに思えました。
しかし、・・・

それは、人間界のパパとママの元に授かった赤ちゃんモモの夢の中の出来事だったのです。


私的な考察

なぜモモは突然トラックに轢かれ、そして死に、そのトラックの荷物がおもちゃだったのか?

そもそもアニメを一本つくるだけで莫大なコストがかかります。
その制作費を捻出するために所謂、製作委員会方式が取られます。
これは、出版社やおもちゃ会社が製作資金を出すというやり方です。
ですから、アニメ制作会社は制作費を出して貰え、代わりに作中のアイテムをおもちゃとして売り出し、おもちゃ会社はそれで利益を得る訳です。

このミンキーモモの脚本を担当した首藤剛志は下記のことを述べています。
放映前の打ち合わせの席でスポンサーから「名作なんて(言われなくても)いいんです、30分のCMだと思ってください」

いまでこそ、この発言はいかがなものかと思えますが、当時はどのアニメでも聞かれたセリフだそうです。
アニメ制作会社からすれば、おもちゃを売るために自分たちはアニメを作っている訳ではないのですから、非常に頭に来る発言な訳です。
また、男児向けと比べると女児向けのおもちゃは売れにくいという一面もあり、女児向けアニメというのは、スポンサーからすれば、あまり資金を出したくないコンテンツでもあるのです。

当時、ミンキーモモのおもちゃはあの時代にしてはかなり売れたほうでした。 
参考サイト

しかし、話数が進むに連れ、おもちゃの売上も落ちてきたようでスポンサー側から46話で打ち切りが決められます。
これで全て繋がります。
つまり、おもちゃを積んだトラック、これはおもちゃ会社というスポンサーを指します。
このトラックが主人公であるモモを殺す。
言い換えれば、スポンサーがミンキーモモというコンテンツを一方的に殺したというアニメ制作会社の悲痛な叫びとも取れる最大限の皮肉だったのです。

しかし、主人公のモモが突然死ぬこと事態非常にショッキングな出来事ですし、なお、その原因がおもちゃを積んだトラックなんて当時ミンキーモモを見ていた子供たちからすればトラウマものです。

やはり、この衝撃展開に反響があったようで、皮肉なことに、このことで後期制作が決定します。
打ち切りを免れることができたのです。
最終的に魔法のプリンセスミンキーモモは全63話となります。


星となったモモとフェナリナーサの両親との会話


モモ「ママなんであたしは地球に行ってたのかしら」

ママ「人々に夢や希望を与えることが出来たらフェナリナーサは地球に戻ることが出来るのです」



モモ「無理だわそんなこと、だって夢や希望は自分で持つものでしょう 人から貰うものでも人にあげるものでもないでしょう」


このセリフの意味を考えてみます。
モモはこの死ぬ話まで、魔法で変身し、様々な人を助け、夢や希望をたくさん与えて来ました。
そういう意味では、モモのこのセリフは今までの行いが全て無駄だったかのような意味に取れます。

『夢や希望は自分で持つものであり、人から貰うものでもあげるものでもない。』


これは正論であり、旧来からの魔法少女系アニメに一つの逆主題を与えています。
人から貰った夢や希望に価値があるのか?
そして、夢や希望をあげてよいのか?
果たしてそんな夢や希望に意味があるのかと。
このメッセージは当時見ていた子供たちには難しいかったでしょう。
しかし、その子たちが大人になり、自分の子を持つ歳となったとき、このメッセージは非常に大きなものになると思えます。


どうしてハッピーエンドが夢オチなのか


モモが事故死したことが当時の子たちにはショッキングな出来事でした。
しかし、転生したモモが大人となりハッピーエンドに終わる。
なんとか丸く収まったかなと思われるのですが、それが夢オチだったなんて、このアニメはさらに視聴者である子供たちを突き放します。

このモモを視聴者である子供たちであると仮定するとどうでしょうか?
視聴者である少女たちは、大人になってなりたい者がたくさんあります。
例えば、ケーキ屋さん 花屋さん、アイドル、婦警さん・・・・ (古い?)

しかし、それはあくまで可能性の一つでしかない。
みんながみんな子供のときになりたかったものになれるわけではない。
夢や希望はその時々で変わるし、仕方なく妥協しなければいけないときもある。
外的な要因(トラック)のせいで夢や希望(モモ)が突然絶たれることもある。
こういう言い方は嫌いですが、それが現実というものです。

つまり、少女という多感なときに、一方的に夢や希望が望みさえすれば手に入るという楽観的な、または、ご都合主義的な考えを与えることは、残酷なことをしているとも取れるのです。
なぜなら、自分の願いだけで夢が叶う訳ではないという現実に直面したときの絶望が大きくなりますから。

だから夢オチなのです。
少女たちの可能性は無限に広がる、あたかも望めばどんな人にもなれるような錯覚さえ覚えさせる。
しかし、それはあくまでも夢の中のおはなし。
それは現実とは違うのだと厳しくも突き放しているのです。
その夢や希望をこれからどうするのかはあなた達次第というメッセージと取れます。


ちなみに


魔法のプリンセスミンキーモモというアニメ、少女向けアニメだったのですが、大きなお友達(おじさんたち)からも人気は博した作品でした。
別に今のアニメみたいにはじめからそういった層を狙って作った訳ではなかったのですが、人気が出ちゃったみたいです。
関係ないですけど、現在の子供向けアニメに大きなお友達がギャーギャーうるさい今の風潮は私自身あまり好きではなないです。

さて、思わぬ層からの支持もあり、続編も作られました。
それが魔法の『プリンセスミンキーモモ 夢を抱きしめて』です。
こちらも環境問題を話題にするなどなかなか重たいテーマを描いていたようです。

子供のときに見ていたアニメのよく意味のわからなかったシーンが大人になると違う視点からわかるようになる。
そういうことは多々あります。
アニメが好きな理由の一つです。

公式サイト 魔法のプリンセスミンキーモモ オフィシャルサイト
Wikipedia    もっと詳しく分かるよ!
公式twitter ミンキーモモ ツイッター


いろいろ書きましたけど、ロリコンではないです(汗)
あしからず




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